2015年6月20日土曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』の連載第2回目


来週は週刊金融財政事情に「マーケットの風」という株式のマーケット・コラムを書いています。それに、まだ原稿を書き終えていませんがフジサンケイ・ビジネスアイにコラム。そして週刊エコノミストに『日本人のための第1次世界大戦史』の連載第2回目を書いています。

『日本人のための第1次世界大戦史』の第2回目から4回目までは初期の軍艦の歴史について触れています。時代的にはアヘン戦争と黒船来航からクリミア戦争でのシノップの海戦までです。

最初エコノミストの編集部と打ち合わせをした時に、第1次世界大戦の話なのにどうしてこんな古いところから話が始まるのかが大きな争点となりました。しかも読めば戦艦と鉄道の話ばっかり。

それは列強各国はやがて巨額の予算を戦艦建造につぎ込むことになるのですが、その必然性は命中すると火薬が爆発して火災を発生させる炸裂弾の発明の説明がなければ難しい事、またこれが理由で鉄鋼船ができたことなどを読者に知ってほしいからだと説得しました。こうした技術的な進化によって軍艦の建造費用が飛躍的に高価になります。ゼロ戦に比べてF35がもすごく高価な事と同じです。そしてこれが開戦に至るひとつの大きな原因となっていくのですが、そこには順序立てた理解が必要なのです。

日露戦争(1904~05年)で「三笠」と一緒に活躍した戦艦「富士」と「八島」は1891年の第2回帝国議会に予算請求が出されますが否決されてしまいます。続けて翌年の第3回、その翌年の第4回と否決され続けますがそれは当たり前なんです。

当時の日本の国家歳出が8千万円、その内軍事費が既に2600万円ですから残りは5400万円。そこへきて1隻1千万円もする戦艦を2隻買ってくれと頼むわけなんです。今でいうならばというのは、僕が一番大嫌いな質問なのですが、それでも敢えていうならば10兆円の戦艦を2隻買ってくれといってるわけなんです。これは清国北洋艦隊が85年にドイツから買った(就役した)「定遠」と「鎮遠」という2隻の巨砲を搭載した装甲軍艦が東シナ海の脅威になっていたのが理由です。対ロシア海軍では無かったのです。結局日清戦争には間に合いませんでしたけれどね。どうやって買ったのかは是非連載を読んで下さい。


英国ロイヤル・ソヴリン級戦艦


さてここで私は清国北洋艦隊「定遠」のことを戦艦と呼ばずに装甲軍艦と呼んでいます。一方で「富士」は戦艦なんです。マスコミも良く間違えますが「戦艦」というのはテクニカル・タームでbattleshipなんです。したがって「中国の戦艦が東シナ海に。。。」などという記述を時折見かけますが、中国海軍は清国の時代も含めて歴史的に戦艦を保有したことは一度もありません。「定遠」は装甲軍艦=ironcladなのです。なぜかというと戦艦ができたのは1890年のイギリス海軍HMSロイヤル・ソヴリン級からなのです。それ以前に事後的に名乗る艦もありますが、近代的戦艦はロイヤル・ソヴリン級が始祖。そして「富士」と「八島」は基本的にこのクラスです。日本は金も無いのに早い時期から戦艦を揃えようとしていたのです。どうして?トラウマがあったからです。だからペリーであり、アヘン戦争なのです。戦艦の構成要件は是非連載を読んで下さい。

またよく日英同盟(1902年)のおかげでイギリスは三笠などの最新の戦艦を日本に売ってくれたなどと解説されますが、実態はそうではないことがわかるでしょう。1891年にイギリスの最新型の戦艦の発注は日本にかぎらず可能だったのです。清国でも望めば、アメリカでもアルゼンチンでもドイツですらイギリスの最新鋭のヴィッカース製戦艦を買えたと思います。これはどうしてなのかという解説は日本ではみかけませんが、こうしたことも連載の中で説明してあります。そのためには1860年のコブデン=シュヴァリエ条約(英仏通商条約)成立までの理解が欠かせないのです。この条約は外国の経済史家の書いた本には必ず登場しますが、唯物史観の邪魔になるために日本の世界史の教科書には出てきませんから、あなたが忘れたわけではないので気にしないで結構です。

では第1次世界大戦が開戦するまで30話、約半年もありますから是非ゆっくりと連載を読んで下さい。


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いつも楽しく拝読させていただいております。「日露戦争、資金調達の戦い: 高橋是清と欧米バンカーたち」を拝読させていただきました。当時はポンド建てがメインであり、それは当時ロンドン市場が発展していたからだ、ということでしたが、その後、ドル建ての国債の発行もみうけられます。こちらについてはどのようにおもわれますでしょうか。