2015年6月30日火曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第3回


週刊エコノミスト連載『日本人のための第1次世界大戦史』も今週で第3回目。蒸気機関と炸裂弾の話である。ちょっと解説しておこう。

帆船同士の最後の海戦はギリシャ独立戦争におけるナヴァリノの海戦(1827年)であるが、これは停泊した船同士の撃ち合いだったので、艦隊決戦としてはトラファルガー(1805年)を最後とした。この海戦とちょうど同じ頃にロバート・フルトンが蒸気船を実用化した(1807年)。

フルトンはオールバニーまでの航路を開拓すると、今度はすぐにブルックリンとの間のフェリー・サービスを始めた。この時の船着場が今は観光名所となっているフルトン・マーケットで、フルトン・ストリートの名前も今に残っているというわけだ。ブルックリン・ブリッジが完成する1883年までこのフェリー・サービスは続いた。

蒸気船は民間ではどんどん発達したが、海軍での採用は随分後になってからだった。これは容易に変更できない規範を重んじる軍隊の保守性と関係があるが、本文にあるように技術的な問題もあった。アヘン戦争で活躍した「ネメシス」もイギリス海軍の艦船につけられるHMS(Her Majesty's Ship)の接頭辞はもらえていない。日本の軍艦でいえば菊の御紋章を頂戴できない軍艦で、ベンガル海軍の軍籍だった。当初の蒸気船はずいぶんと格下に観られていたのだ。
帆船時代のイギリスとインドの交通はインド洋のモンスーンの関係で1年間に一往復できただけだったが、1869年にスエズ運河できて蒸気船だけが通行可能だったために片道3週間にまで一気に短縮された。

ウィスキーで有名な高速帆船のティー・クリッパー、カティサークの完成は皮肉なことにこの1869年。帆船はスエズ運河を通してもらえなかった。美しい船だが悲劇の船でもある。個人的にはグリニッジにカティ・サークを見に行った時には火災事故の後で修復中でみられなかのが心残りだ。
今でも歴史映画で誤解があるのが大砲の砲弾だ。砲弾は鉄の塊で、着弾したら爆発するようになったのはようやく19世紀の中頃である。時代劇でどかーんと爆発しているのは単なる誤解である。南北戦争を扱った映画『グローリー』では鉄の塊が兵列に打ち込まれて、ころがる砲弾に兵士達がどのような被害を受けたかがリアルに映像化されている。また帆船同士の海戦を描いた『マスター・アンド・コマンダー』も観ておきたい映画だ。

砲弾の進化の関連資料には入手困難なものが多い。『シーパワーの世界史2』青木栄一は限られた時間しか開店していない神保町のマニアックな店の本棚でみつけた。『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』田所昌幸はアカデミックな論文集だが海軍砲の進化史が少しのっている。結局日本語の本では充分なものがみつからず、細かい問題はPeter Padfieldの『Gun at Sea』を入手してようやく解決した。実は大砲の進化には薩英戦争におけるアームストロング砲が大きく関係しているが、この話は後に出てくる。

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