2015年7月29日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第7回


週刊エコノミスト連載の『日本人のための第1次世界大戦史』も早くも第7回となった。エコノミストの記事としては段々違和感がなくなってきた。かな?

鉄道を初めて戦争に利用して効果をあげたのは、1859年の第2次イタリア戦争(イタリア対オーストリア)の応援にかけつけたフランス軍である。鉄道以前であれば2か月かかる行程を11日間で12万のフランス軍を戦場にまで運んだ。この時対峙したオーストリア軍は新式の前装ライフル銃を装備して、新しい散兵方式でフランス軍の旧来の密集隊形と戦ったが、たまたま負けてしまった。気合が足りなかったのだと思う。その為にオーストリア軍はフランス軍に倣い再び古い密集隊形に戻してしまい、プロイセンとの戦争に臨むことになった。

弾丸の初速が速いライフル銃の銃創は酷く、この辺りの戦争から負傷兵の手足の切断手術が格段に増え、戦争の酷さが増すことになった。

シャルンホルストやクラウゼビッツを輩出したプロイセン参謀本部も、実戦を経験するまでは軍内では軽い扱いだった。モルトケが登場しその綿密に準備された調査や作戦の効果が将軍達に評価されることによってはじめて軍内の地位が向上した。いずれにせよ鉄道と電信がなければ参謀本部は効果を発揮できなかったことは間違いない。この頃の戦争は初動の動員にどれだけの兵力を集中できるかが戦争の帰趨を決定したのだ。

記事中の地図をみれば当時のドイツの国境線がわかるだろう。東のポーランドは併合されロシアと直接国境を接していた。来週は普仏戦争を説明したい。何しろ一話3千字の制約があるので書ける範囲には限度があるが、ダラダラ書かずにすむというメリットもある。

今から7年ほど前に、パリ北駅からベルリンまで寝台車に乗った。ベルリン中央駅が完成前で、旧西ベルリンの中心駅だった動物園前駅までの乗車だった。車両と運用はドイツ国鉄で、2人用の個室でシャワーもついていて、朝食は部屋まで届けてくれた。



後で気がついたことだが、列車はパリを出ると北東にハノーファーを目指し、そこから真東にベルリンに向かった。中央集権国家であるフランスの鉄道はすべての路線がパリを目指して敷設されている。一方で山がちの地形で鉄道黎明期に小さな国々に分かれていたドイツは、バラバラに鉄道が敷設されたので結果として東西南北のグリッド状に線路網がはりめぐらされることになった。このことが後の普仏戦争に大きく影響を及ぼすことになる。

続きは次回週刊エコノミスト


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