2015年7月8日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第4回


週刊エコノミストに連載中の『日本人のための第1次世界大戦史』も今週号で早くも第4回。今回は近代的戦艦の誕生第3話として船の推進装置である「スクリュー」と木造の帆船がいかにして鉄で装甲するようになったのかということで「装甲軍艦」について書きました。

ロバート・フルトンの発明した蒸気船は外輪船で、英語だとペダル・ボートと呼ばれるもので、遊園地にある足で漕ぐペダル・ボートと原理は同じで、水を掻き分けて推進力を得ます。しかしこれは露出している分だけ砲撃戦になると破壊されやすいし、構造的に船の横の本来であれば大砲を搭載したい部分の面積をとってしまいます。そこで喫水線下にあるスクリューの発明が、蒸気機関が軍艦に採用される大きな要因となったわけです。スクリューの発明とアッサリと書いていますが、その効率的な形状の模索は現代でも続いています。潜水艦のスクリュー音を消すための掘削装置のソ連への輸出がココム違反となった事件を憶えている方もいるでしょう。

雑誌の絵はフランスのナポレオン号、旧式な戦列艦から蒸気機関の煙突が立ち上がっている姿は奇妙なものですが、大きな外輪に比べて抵抗の小さなスクリューは帆走との相性も悪くなかったのです。

木造船に鉄板を貼って防御鋼板とすることが始まったのは、炸裂弾の発明とその実用化がきっかけです。ナポレオン号のような戦列艦の大砲の一部が前回解説したペグサン砲にかわって着弾すると爆発するようになりました。これの具体的な戦訓がクリミア戦争のシノップの海戦だったのです。この海戦の後各国海軍は従来の木造戦列艦の建造を一時停止しました。その後に登場したのが装甲を施した装甲軍艦と呼ばれる艦種で、フランス海軍のグロワール、これは鉄製の骨格の木造船に鉄板を貼ったもの、翌年のイギリス海軍のHMSウォーリアーはすべて鉄製の初めての大型軍艦でした。このHMSウォ―リアーはHMSヴィクトリーとともに今でもポーツマス軍港に保存されています。

今回はクリミア戦争にページを割けませんでしたが、この戦争は現代のクリミア半島、バルカン半島、ギリシャ問題などその歴史的背景が複雑に絡んだ戦争で、勉強しておくと世界史の知見に厚みが増すことは間違いありません。そもそも東ローマのコンスタンチノープルを中心としたキリスト教の中の正教はロシア正教を除けばイスラム占領下で生き延びたキリスト教です。カソリックやプロテスタントの欧州の国々と違う歴史を持つのは当然なのです。またこの1853年の時点におけるクリミア半島の住民の80%はタタール人であって、ウクライナ人もロシア人も本来の主役ではありませんでした。

オスマン帝国の最盛期は第2次ウィーン包囲戦でしょう。この後の大トルコ戦争の終結が1699年ですから17世紀と18世紀の世紀の変わり目と憶えておけば何かと便利です。ウィーンがイスラムに包囲された事実、コーヒーの普及はこれ以降だとか、モーツアルトの「トルコ行進曲」はトルコ撃退100年記念のトルコ・ブームの中で作曲されたとか色々と結びついて興味深いものです。

クリミア戦争(上) 下』オーランド・ファィジズ、白水社、2015年、は面白い本で、お奨めです。読後にクリミア、ジョージア、バルカンを語れば敵なしですよ。海戦の記述は少し物足りないかな。ともあれこの戦争を契機に軍艦が鉄製になったといっても良いでしょう。

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