2015年8月15日土曜日

第2次世界大戦の終わった日

これは2013年8月のフジサンケイ・ビジネスアイに掲載された拙コラムです。


第2次世界大戦の終わった日


昭和20年8月15日、昭和天皇はラジオを通じて日本国民に太平洋戦争の敗戦を告げた。「玉音放送」である。

さかのぼる8月9日、日本ではポツダム宣言受諾をめぐり天皇陛下臨席の最高指導会議が持たれ、徹夜越しの10日には宣言受諾の「ご聖断」を仰いだ。直ちに中立国スウェーデンとスイスに向けて電報が打たれたが、これは条件付きの受諾であったので、連合国側による調整を経て日本の正式な宣言受諾の電報は14日となったのである。

しかし10日に発信した電報は、すでに英国BBCや米軍FEN、ロシア語放送によって世界に報道され、例えば上海ではこの日に敗戦を知った人は多く、日本人租界と隣接するユダヤ人地区では占領下に横暴な支配者として振る舞った日本軍人が、早々と道端で若者に囲まれて無抵抗で殴られていたそうである。

一方で14日に日本のポツダム宣言受諾の正式の電報を受け取った米国トルーマン大統領は、日本からのポツダム宣言受諾の全文をラジオ放送によって紹介した上で、「“VJ(Victory over Japan)デー”の布告は、日本が降伏文書に正式に署名するまで待たなければならない」と発言した。これは当然であって、宣言したから戦争が終結するわけではなく、降伏文書調印に向けて日本軍の武装解除と降伏条件履行のための交渉が持たれなければならなかったからだ。

日本は誤認防止のため、連合軍側に支持された通りに、白い機体にミドリ十字マークを塗装した一式陸攻2機を用意した。これでマニラにあるダグラス・マッカサー連合軍総司令部に向けて河辺虎四郎参謀次長(中将)を全権代表として送り込み、交渉の末8月20日に降伏文書を受領した。ところがこの時に連合軍総司令部からソ連は連合軍総司令部の指揮下にはないこと、ポツダム宣言はアメリカ、イギリス、中国によるものであって、日本はソ連とはアメリカなどの連合国とは別個に降伏手続きをする必要があることを通知された。しかし何故か日本はその後もソ連のマリノフスキー将軍に全権代表を送らず、現地での敗走に混乱する関東軍に全てを委ねてしまった。ソ連としては、関東軍はあくまで交戦中の現地軍であって国家の全権代表ではないと認識し(見方によればつけ込んで)戦闘行為を継続したのである。

京都大学の歴史学者山室信一氏は満州国研究の決定版ともいえる著書『キメラ』の中でこう指摘している。「日本政府が交渉を関東軍に委ねて明確な意思表示をしなかったことは、ソ連に絶好の口実を与え、旧満州では8月20日、樺太では8月26日、千島では9月5日まで作戦上の侵攻が続き、死傷者や抑留者の増大を招くことになりました」

9月2日、東京湾上の米国戦艦ミズーリ号で連合軍最高司令官マッカーサー元帥と日本政府全権重光外務大臣による正式な降伏文書調印式が行われ、ここに日本の敗戦とともに第2次世界大戦の終結が確定した。

日本の「終戦記念日」は玉音放送のあった8月15日となっている。ご存知の方も多いと思うが連合軍側では「対日戦勝記念日」を9月2日、あるいはその翌日の3日とする国が多いのである。

これは2013年8月のフジサンケイ・ビジネスアイに掲載された拙コラムです。


0 件のコメント: