2015年10月28日水曜日

第19回「無線と日露戦争:日本人のための第1次世界大戦史」


週刊エコノミスト連載中「日本人のための第1次世界大戦史」
第19回は「無線と日露戦争」です。


‐これは連載本文に対する解説です。是非本文の方をお読み下さい‐

無線機を発明したマルコーニの母親が、アイリシュ・ウィスキー、「ジェムソン」のお嬢さまであったことを少し強調しました。彼女がオペラの勉強のためにイタリアへ赴いたことが、無線機の発明者の栄誉をイタリアにもたらしたわけです。しかしイタリアでの起業はできませんでした。資本市場とそのインフラである、マーチャント・バンク、特許や法務のプロが充実していなかったからです。マルコーニは母と共にロンドンに引っ越して起業しました。何か現代的なお話でもあります。このあたり、ボローニャの地主であったイタリア人の父親の話はあまり記述がありませんのでよくわかりません。

アイルランドは1845年から51年にかけてジャガイモ飢饉に襲われます。これが穀物法廃止につながったことは第12回の「グローバリゼーション」に書いておきました。この時アイルランドでは100万人の死者と数多くの移民を出して人口が大幅に減少してしまいます。1840年の820万人が1911年の段階では440万にまで減っているのです。その代わりと言ってはなんですが、数多くのアイリシュがアメリカに移民して大きな勢力を築きます。現在では約3600万人のアメリカ人がアイリシュ系であると自認しています。全世界では7000万人といわれています。

このアイルランドからの移民向けの輸出と19世紀後半にヨーロッパを襲ったフィロキセラ病によるブドウの木の被害とそれによるワイン生産の減少によって、アイリシュ・ウィスキーはスコッチともども世界中で広範に飲まれることになりました。20世紀の初頭にはスコッチと並ぶほど産業として全盛期を迎えていたのです。

その後のアメリカの禁酒法、また2つの世界大戦においてアイリシュ系アメリカ人の兵士がスコッチに魅了されたことによってアメリカにおけるアイリッシュ・ウィスキーは衰退したという意見が多いようです。

バーでジェムソンを見かけるたびに、私はマルコーニの無線機に思いを馳せています。

http://www.jamesonwhiskey.com/jp/

ちなみに私のアマチュア無線のコールサインはJH1OGKです。小学校5年の時に免許を取得しました。試験会場の社会センターという今は無きビルの地下食堂で食べたポーク・ソテーが美味しくて、何故か今でも表面の小麦粉が少し焦げたカリカリさと中身の柔らかさが鮮明に記憶に残っています。あれを凌駕するには40歳を過ぎて食べた「たいめい軒」のポーク・ソテーまで待たなければなりませんでした。話がすごくスライスしてしまいました。




2015年10月22日木曜日

第18回「日露戦争と鉄道」


週刊エコノミスト連載中「日本人のための第1次世界大戦史」
第18回「日露戦争と鉄道」

-これは連載本文の解説です。-

日露戦争を『坂の上の雲』だけで納得してしまうと、この戦争を日本国内に限定された事象であったと捉えがちです。
しかし、この戦争は、小説ではあまり取り上げられていませんが、戦場となった中国や韓国への影響、私が『日露戦争、資金調達の戦い』で書いた国際金融市場の状況、その他列強諸国の地政学上の軍事バランスなど、国際社会に非常に大きな影響を及ぼしています。

特に日露戦争の10年後に始まる第1次世界大戦に対して、その前哨戦的な要素も多くみられることから最近では「第0次世界大戦」と呼ばれています。今回は鉄道の兵站によって砲撃が主体となった陸上戦についてと軌道の問題を扱いました。

帝国陸海軍では伝統的に兵科主体。軍医、主計科など兵站、技術将校などは軽く見られていました。もちろんこれは日本に限ったことではなく、世界中の軍がそうでしたが、この問題に気付くのが早かったのか、遅かったのかの問題はありました。イギリス海軍でも機関科と兵科の差別は1902年まで続きました。がそこで終わりました。帝国陸海軍の兵站軽視は後に致命傷になっていきます。

これは90年代ぐらいまでの日本の証券会社の組織と似ているところがあって(多分他の業種も同じだとは思いますが)、参謀本部の経営企画が一番偉くて、その母体が手数料を稼ぐ営業部門でした。IT部門やバック・オフィスはいつまでたってもサポート部隊として軽く見られていました。委託手数料が自由化されていく中、結局はそうした部門が単なる業務の効率化だけではなく、利益捻出のドライバーになることになかなか気が付かなかったのです。

話がそれましたが、鉄道などのインフラが重要度を増し、砲弾量が戦闘を決定づける重要な要因になると、戦争は経済力の戦いに変貌していきます。日露戦争は両国とも戦費調達で行き詰まったことは、後の戦争の総力戦化の予兆だったのです。


2015年10月15日木曜日

反知性主義


こんな私でもコラムの原稿の題材に行き詰ってしまった時には、ついつい「反知性主義」について書こうかと思ったこともあった。だけど、私は森本あんり『反知性主義』(新潮選書)しか読んでいないし、ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』を読む予定が組めなかったので、コラムを書くには知識量が中途半端だと思って書くのを止めておいた。それに私に期待されていたのは、そんな知性的な話ではなく相場の話だったということもあった。もともと追求すべきテーマ自体が反知性的にできているのだ。

しかし私としては、森本あんりの著書の中で題材として取り上げられた映画もくまなく見ながら、この本から得られたものは、極めてシンプルな結論だった。それは「既存の(権威ある)知性」は信用するなという事だった。

知性というものは、当初神が人間に与えたものであったが、それにまつわる人間達が自分達自身を権威づけることによって、知性の周辺にも既得権益が発生していった。俺や俺の友人達は知性を持っているが、君達の持っているものは知性とはいわない。あるいは知性を教養という言葉に置き換えてみても良いだろう。君も私のように教養を身につければきっと会社で出世するし、豊かな人生を送れるようになるよ。それには是非私の書いたこの本を読めば良いのではないかな。というようなものだ。

かくして知性とは必ずしも純粋に真実を追求したものではなくなっていったのだ。それはちょうど世紀の変わり目のアラン・ソーカルの『「知」の欺瞞』(岩波書店)を彷彿させるものだった。安保法制の議論ではそうした傾向が多く見られたと感じた人が多かったに違いない。

アカデミックな歴史学的知見を全く無視する輩は、反知性主義者ではなく単なるバカだと言えばよかったのだ。しかし自分達こそ神から聖杯を与えられし賢者であると信じた彼らは、そうした右翼を反知性主義者と呼んだことで、彼ら自身が「既存の知性」でしかないことを浮かびあがらせてしまったのだと思う。

したがって「反知性主義」と書かれたいいかげんな本は今のところ読まないことにしている。

第17回「パクス・ブリタニカの黄昏」解説、『日本人のための第1次世界大戦史』


週刊エコノミスト連載中の『日本人のための第1次世界大戦史』、今週は第17回「パクス・ブリタニカの黄昏」です。

前回第16回はマハンの『海上権力史論』(1890)についてでした。この本は、海上覇権を基礎とするパクス・ブリタニカ構築過程のロイヤル・ネイヴィー全盛期の海戦史でもありましたから、先ずはイギリスで評判を呼びました。またアメリカの海軍建設を促す話でもありますから、アメリカ海軍関係者、特に後の大統領であるセオドア・ルーズベルトにも大きく影響を与えたことで知られています。さらにドイツのヴィルヘルム2世も、ロシアのニコライ2世も、大日本帝国海軍も同じように影響を受けたわけで、結局、この本が列強国の建艦競争に火をつけたことになります。

さらに1892年就役のHMSロイヤル・ソヴリン級による近代的戦艦の標準形式の確立もあって、後の方の回で各国の海軍予算を扱いますが、はっきりとこの頃を境に国家予算に占める海軍費の比率が高まっていきます。せっかくマハンによってイギリスの海上覇権の栄光が歌い上げられたのに、まさにそういった時こそがパクス・ブリタニカのピークであったに違いありません。

マハンに比べてマッキンダーの代表的著作である『マッキンダーの地政学‐デモクラシーの理想と現実』は第1次世界大戦後の1919年の著作ですが、今回は日露戦争の直前に持たれた講演会『歴史の地理学的回転軸』(『マッキンダーの地政学』の巻末に収録)をもとに、海上に対する陸上の優位に関して「パクス・ブリタニカの黄昏」とイメージを重ねて書きました。

アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争、南北戦争においてもアメリカに敵対的な行動をとったイギリスが、何故次第にアメリカに妥協していったのか、もちろんボーア戦争のための戦費ファィナンスでアメリカ・モルガン商会を頼ったことを契機に、イギリスは経済力でアメリカに追い越されたと実感したのではないかと私は考えていますが、ロイヤル・ネイヴィーの強さが相対的に圧倒的なものではなくなっていったことに原因がありました。

武装した敵が増えすぎたのです。

日英同盟もそうした事情下で締結され、日露戦争はこの講演でいうシベリア鉄道開通によるロシアというユーラシア大陸を制するランドパワーの極東への出現が引き起こしたとも言えるでしょう。

だからこそバルチック艦隊が壊滅しようとも、ロシアの降伏は必然ではなく、戦争を終結させたのはあくまで両国の国際金融市場における財務的な要素が大きかったのだと思います。

次回は鉄道と日露戦争です。第1次世界大戦に大きく影響を及ぼした鉄道と軍隊について考えたいと思います。

2015年10月6日火曜日

第16回「マハンの海上権力史論」『日本人のための第1次世界大戦史』


週刊エコノミスト連載『日本人のための第1次世界大戦史』
第16回「マハンの海上権力史論」

今回は前半がヴィルヘルム2世即位後のドイツ帝国。それまでのビスマルクによる国家運営との違いを説明しました。この文章は雑誌掲載の本文の補足として書いています。

1871年の普仏戦争後から1888年のヴィルヘルム2世即位までの間の最大の出来事はドイツが経済規模や人口でフランスを追い抜いたことです。ちょうど現在の中国と日本のような立ち位置です。工業製品でもメイド・イン・ジャーマニーが幅を利かせるようになってきました。そして若い皇帝はビスマルクが苦心して作り上げたロシアとの同盟延長を拒否してしまいます。この結果ロシアはフランスに接近し、遅れていたインフラ投資をフランス資本に頼ることになります。シベリア鉄道などがそうです。そしてドイツは東西両面に仮想敵国を持つことになりました。

原稿段階ではドイツ国会の政党別勢力図のグラフをつけておいたのですがスペースの関係で本文に入りきりませんでした。この時代のドイツでは社会党勢力が力を伸ばしていました。

こうしたタイミングで登場したのがアメリカ海軍大学校のマハンの書いた『海上権力史論』でした。この本は『坂の上の雲』でも秋山真之がマハンを私淑したことで日本でも有名になったと思います。日本では金子賢太郎が翻訳して水交社から出版されました。当時の書評がたくさん残っています。当時の知的階層はこれを読んで列強諸国に負けずに日本も建艦予算を確保せねばと考えたことでしょう。
1892年に初の近代的戦艦であるロイヤル・ソヴリン級が就役して、1906年に革新的戦艦ドレッドノートが誕生するまでの14年間ほど、各国海軍は膨大な予算をつぎ込んでせっせと戦艦艦隊を建設しました。そうした中でイギリスの海上覇権は相対的に弱まっていきます。

またユーラシア大陸各地域での鉄道網の充実は、陸上兵力に対する海上兵力の優位を根底から覆していくことになります。鉄道の輸送力が海上を上回るようになった地域が出てきたのです。次回はその話。マッキンダーが1904年に行った講演『地理学からみた歴史の回転軸』を中心にパクスブリタニカの終焉を見ていきたいと思います。

参考書はポール・ケネディのベストセラー『大国の興亡 上下』が今読み直しても大変面白いし当時の経済、工業生産データが実に豊富。また物語としてはジャン・モリスの『パクス・ブリタニカ 上下』、『帝国の落日 上下』はおすすめ。そしてもちろんマハンの『海上権力史論』

学研の出している『歴史群像 10月号』では大木穀氏の「シュリーフェン計画という神話」という優れた論考が掲載されています。私は既に「シユリ―フェン・プラン」については原稿を書き終えていましたが、第1次世界大戦を日本人に伝える上で、一体どのあたりまで掘り下げるべきか、少し考えさせられました。でも、結局原稿の手直しはしませんでした。