2015年10月15日木曜日

第17回「パクス・ブリタニカの黄昏」解説、『日本人のための第1次世界大戦史』


週刊エコノミスト連載中の『日本人のための第1次世界大戦史』、今週は第17回「パクス・ブリタニカの黄昏」です。

前回第16回はマハンの『海上権力史論』(1890)についてでした。この本は、海上覇権を基礎とするパクス・ブリタニカ構築過程のロイヤル・ネイヴィー全盛期の海戦史でもありましたから、先ずはイギリスで評判を呼びました。またアメリカの海軍建設を促す話でもありますから、アメリカ海軍関係者、特に後の大統領であるセオドア・ルーズベルトにも大きく影響を与えたことで知られています。さらにドイツのヴィルヘルム2世も、ロシアのニコライ2世も、大日本帝国海軍も同じように影響を受けたわけで、結局、この本が列強国の建艦競争に火をつけたことになります。

さらに1892年就役のHMSロイヤル・ソヴリン級による近代的戦艦の標準形式の確立もあって、後の方の回で各国の海軍予算を扱いますが、はっきりとこの頃を境に国家予算に占める海軍費の比率が高まっていきます。せっかくマハンによってイギリスの海上覇権の栄光が歌い上げられたのに、まさにそういった時こそがパクス・ブリタニカのピークであったに違いありません。

マハンに比べてマッキンダーの代表的著作である『マッキンダーの地政学‐デモクラシーの理想と現実』は第1次世界大戦後の1919年の著作ですが、今回は日露戦争の直前に持たれた講演会『歴史の地理学的回転軸』(『マッキンダーの地政学』の巻末に収録)をもとに、海上に対する陸上の優位に関して「パクス・ブリタニカの黄昏」とイメージを重ねて書きました。

アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争、南北戦争においてもアメリカに敵対的な行動をとったイギリスが、何故次第にアメリカに妥協していったのか、もちろんボーア戦争のための戦費ファィナンスでアメリカ・モルガン商会を頼ったことを契機に、イギリスは経済力でアメリカに追い越されたと実感したのではないかと私は考えていますが、ロイヤル・ネイヴィーの強さが相対的に圧倒的なものではなくなっていったことに原因がありました。

武装した敵が増えすぎたのです。

日英同盟もそうした事情下で締結され、日露戦争はこの講演でいうシベリア鉄道開通によるロシアというユーラシア大陸を制するランドパワーの極東への出現が引き起こしたとも言えるでしょう。

だからこそバルチック艦隊が壊滅しようとも、ロシアの降伏は必然ではなく、戦争を終結させたのはあくまで両国の国際金融市場における財務的な要素が大きかったのだと思います。

次回は鉄道と日露戦争です。第1次世界大戦に大きく影響を及ぼした鉄道と軍隊について考えたいと思います。

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