2015年11月25日水曜日

ロシアはトルコによるロシア機撃墜問題をエスカレートさせる気は無い


ロシアはトルコによるロシア機撃墜問題をエスカレートさせる気は無い

IS(イスラム・ステート)問題ですっかり忘れ去られた感があるが、ウクライナ東部ドンバス地方では現在もウクライナ軍と親ロシア側との間で砲撃戦が続いている。ロシアによるクリミア半島奪取に続いて、昨年これらの地方では住民投票が行われ、現在ウクライナから独立した形で「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」が存在している。ロシア側から見ればウクライナ・ファシストに対して立ち上がった親ロシアな住民達だし、ウクライナからすれば自国内で勝手に住民投票した不法な連中である。ドンバス地方にあるこれら2つの共和国は地域の面積で3分の1、住民で約300万人が居住している。そして約100万人のウクライナ人が土地を追われ難民となった。

砲撃戦が続いていると書いたが、実際には両軍は砲撃前に事前に告知しあい、犠牲者が出ないように配慮しあっている。たまに死亡者が出て小競り合いになることがあるが、砲撃を続行しているのは「我が国は正しいから、今でも何かしているよ」という姿勢を示す、ウクライナとロシア双方の国内世論のためである。

参考 フォーサイト
ドネツク人民共和国往還記 2015年10月29日 橋の向こうに戦場がある
:国末憲人 http://www.fsight.jp/articles/-/40601

傍目から見るとロシアはクリミア半島のようにドンバス地方を領土に併合してしまえばよさそうに見えるが、ロシアから見れば併合は復興資金や、石炭を中心とした古い工業地帯として高齢化した住民達への年金支払いなど、経済的に負担が大きすぎる割にメリットが無い。また黒海に開いたクリミア半島にくらべて地政学的な重要度が低い。ロシアはNATO軍との緩衝地帯が欲しいのであって、単純に領土面積拡大的な欲求はそもそもない。

ロシアとしては、両共和国はウクライナという隣接国の中で親ロシア的な要素として是非取り込んでもらいたいと考えている。もちろんウクライナはそんなバカバカしい提案に乗る気はない。かつては繁栄したが、現状では経済的に重要な地域でもなく、無理をしてウクライナの一部として取り込む気もない。

月初のビジネスアイのコラムで書いたが、フォーリン・アフェアーズ・レポートを購読している範囲では、ロシアの中東進出の動機として以下の3つのことが指摘されてきた。

(1) 米国が推し進めるアサド政権の崩壊によるシリア紛争の解決は、ロシアの地中海の軍事拠点使用を不確実なものにしてしまう可能性があった。「イスラム国」討伐への寄与はロシアの威信確保とともに、東地中海におけるプレゼンスの維持に資する。また、アサド個人を擁護できずとも近い人脈によるシリアの部分支配でも良いから、地中海の港湾確保から親ロシアのシリアを確保しようと考えた。

(2) 膠着(こうちゃく)しているウクライナ・ドンバス情勢から、ロシアの国内世論をそらすとともに、国際世論の焦点を中近東へ移動させ、有利な条件でのウクライナの講和を引き出す条件を整えようと意図した。また経済的に2正面で戦線を維持するには財政的に限界がきていた。


(3) ロシアは衛星諸国も含めてトルコ、イランと国境を接している、また国内に多くのイスラム教徒(約1500万人)を抱えているために過激派「イスラム国」の物理的な接近を懸念した。

こうした中で発生したのが、テロによるロシア旅客機爆破事件だった。当初プーチンは中近東干渉に関する国内世論に配慮して、テロ説を否定していたことは記憶に新しい。

因みにロシアが原油価格を上げたいために中東に混乱をもたらしたという見解はあたらないと思う。

ロシア軍の空爆のコストは撃墜や戦死などの被害がなくとも1日約400万ドル、ロシアの戦略目標は地中海における拠点確保であり、それは親ロシア的なシリア政府の維持である。こう言ってはなんだが、ISなど適当にやっつける。ターゲットはアサド政権をおびやかす反政府軍である。この対象がクルド軍兵士であり、その地域に編み物の文様のように織り込まれた居住地域を持つトルキスタン人の兵力だった。 

空爆は意外と効果が出ず、最近は反政府軍との政治的決着に傾きかけていたところで、ロシア旅客機爆破事件が発生し、今回のパリのテロ事件が発生した。そしてロシアもISによるテロの標的として切実な脅迫を受けている。プーチンはウクライナ問題打開のため、隘路に活路を求めたはずが、うまく事が運んでいなかったのが現状だった。

そこに今回のトルコ空軍による領空侵犯ロシア攻撃機の撃墜事件が発生した。NATOから見れば、そもそもロシア機はISのいないトルコ国境隣接地域のトルキスタン人部隊を爆撃しているから発生した事件であり、プーチンは拳を振り上げてみたものの、降ろすところがない。

プーチンが今、最も警戒するのはロシア国内でのテロだろう。妙に国内世論が盛り上がって国内でムスリムへの敵意が醸成されると、国内のムスリム問題や、衛星国であるムスリム周辺国との関係が悪化しかねない。さらに討伐ともなると、財政的に苦しい中でこれ以上の出費は避けたいところだ。そもそも在シリアのロシア軍への本国からの補給経路は黒海からトルコ領内のボスボラス海峡を抜けるもので、「シリア・エクスプレス」と呼ばれている。戦術的にトルコとの経済関係も含めて今回はロシアが折れる以外に手段はない。


しかし、歴史的に補給経路や経済関係だけで紛争のすべてが決着されてきたわけではない、これまで巧妙なプロパンガンダでコントロールしてきたロシア国内世論がどう出るのだろうか、今回は戦闘機とヘリが1機撃墜され、白系ロシア人のパイロットが2名脱出中に殺害された。ロシアではムスリムのロシア兵が殺害されるのと、白系ロシア人兵士殺害の画像では世論の形成のされかたに大きな差があるのだそうだ。

この事件は多くのムスリム人口を抱えるロシアの国内問題でもあるのだ。





2015年11月18日水曜日

第22回「英仏の接近」:「日本人のための第1次世界大戦史」


週刊エコノミスト連載「日本人のための第1次世界大戦史」
第22回は「英仏の接近」です

スペイン、オランダの衰退以降、イギリス海軍の仮想敵国は常にフランスでした。トラファルガー海戦でイギリスがナポレオンの艦隊を駆逐した後も、フランス海軍はすぐに再建を開始して劣勢ながら対抗する姿勢を崩していませんでした。こうしてヨーロッパでは敵対する先進2大国でしたが、統一後のドイツの勃興に対して両者は次第に接近していきます。

その機会として注目したいのが、ファショダ事件(1898年)と、日露戦争開戦直後に結ばれた英仏協商(1904年)、タンジール事件(1905年)です。

後の2つは本文に譲るとして、

ファショダ事件は、マハディー戦争の始末をつけるためのイギリス・エジプト軍の北スーダンへ侵攻作戦の延長線上にありました。マハディー(wikiではマフディー)戦争は、エジプト支配下の北スーダンで生起した、ムハンマド・アムハド率いるイスラム教徒による「トルコの圧政者」に対するジハード(聖戦)です。マハディー軍は討伐に向かったイギリスのチャールズ・ゴードン少将(アロー戦争で名を馳せた)の部隊を全滅させたために、イギリス本国から敵討ちの部隊が派遣されます。

このあたりの話は「サハラに舞う羽根」(2002年)によって映画化されています。騎兵が馬を降りて陣形を組み銃で戦闘しています。またウィンストン・チャーチルが若かりし頃を綴った自伝「わが半生」(中公クラッシックス)にもエジプト遠征として詳しく書かれています。チャーチルはファショダ事件の直前に帰国しています。また陸上部隊を支援したナイル川の砲艦の指揮官はディヴィット・ビーティー大尉。この戦いの功で中佐に昇進、その後すぐに北清事変(義和団事件)で再び功を上げ29歳で海軍大佐にまで出世してしまいます。貴族ではありません。そしてユトランド沖海戦では高速巡洋戦艦艦隊を指揮することになります。奥さんは資産家のアメリカ人。ダウントン・アビーみたいですね。

ファショダ事件はフランスによる東西の動き、イギリスによる南北の動きという分かり易い構図で帝国主義の説明にはもってこいなのですが、実態は本文にあるとおりです。これと同じようにイギリスの3C政策(ケープタウン・カイロ・カルカッタ)とドイツの3B政策(ベルリン・ビザンチウム・バグダット)がぶつかりあったことが第1次世界大戦開戦の原因となったとごく最近まで教えられていたようですが、今ではそもそも3Cと3Bは交差しないし、ドイツのバクダッド鉄道は戦争直前にロンドンでファィナンスされていたことから、戦争を避けるべき要因ではあっても、これが開戦の原因だとは数えられていません。


2015年11月5日木曜日

第20回「戦艦ドレッドノート」『日本人のための第1次世界大戦史』


『日本人のための第1次世界大戦史』

今週は第20回「戦艦ドレッドノート」です。

イギリス海軍は1893年の「ロイヤル・ソブリン級」から日露戦争の始まる前年の1903年までの間に、ちょうど日本の三笠のクラスの戦艦を37隻も建造しています。三笠は1隻1200万円。1903年の日本の国家予算が2億8千万円でした。しかしドイツ、アメリカ、日本、フランス、ロシア、イタリア、オーストリアなども同等の新造戦艦を数多く建造したので、イギリス海軍がそれまで保持した圧倒的な海上覇権は揺らぎを見せ始めていました。

かつてイギリス海軍の拡充に力発揮したフィッシャー大佐もこの頃には大将に昇進し、イギリスの艦隊建設に尽力していました。日露戦争が始まった頃、ここは戦艦の数よりもイギリスの科学技術を発揮した卓越した戦艦を建造しようと、彼が計画した戦艦が[
「ドレッドノート」でした。

フォークギターの名門ブランド、マーチン社では箱の大きなギターをドレッドノートと呼びます。また映画の世界では超ド級映画という呼び方がありましたが、これも戦艦ドレッドノートが起源です。この戦艦の登場は各国の海軍のみならず、一般大衆に対しても大きなインパクトを与えた痕跡が残されています。実はこの戦艦は日露戦争の海戦の結果を参考にして誕生したものだったです。主砲配置、蒸気レシプロからタービン・エンジンへ、さらにボイラーは石油石炭混焼でした。

このドレッドノートは戦艦の新基準となり、三笠など従来型の戦艦(前弩級)を陳腐化してしまいましたが、この艦自体も直ぐに超弩級が現れて陳腐化することになります。19世紀後半に発達した冶金や造船技術が大きく花開いたのが1907年から12年頃までの欧州の兵器会社だったのです。

しかし莫大な建造予算の確保には国民の仮想敵国に対する憎悪をかきたてる必要がありました。危機を煽らなければならなかったのです。

次回21回はこのドレッドノートが各国におよぼした影響と戦艦の建造費の推移について分析しています

三笠の主砲配置

ドレッドノートの主砲配置

1907年起工の超弩級戦艦オライオンの主砲配置