2015年12月15日火曜日

第26回「ガソリンが灯油を抜くとき」解説


週刊エコノミスト連載、『日本人のための第1次世界大戦史』、今週は第26回「ガソリンが灯油を抜くとき」です。

一九世紀を通じて石油の主な用途は長い間灯油でした。自動車用のガソリンがこれに量的に追いついたのが第1次世界大戦の直前だったという話を、自動車の発達とともに書きました。

高橋是清のロンドンへの資金調達の旅(1904-05)を記録した日記がわりの手帳の中にも、「今日はドライブした」という言葉が度々登場します。また1905年のThe Timesにはロンドンで開催されたモーターショーの記述があり王室が自動車を大変気に入ったという記事が書いてありました。またすでに自動車会社の広告も掲載されていました。

拙著「日露戦争、資金調達の戦い」を書くときにはこうした乗り物も色々調べたのですが、ニューヨークの1905年のブローウェーの写真を見ても、自動車は見当たらずほとんどが馬車とトロリーでした。また面白いのはNYのトロリー(路面電車)は実は電車ではなく、ケーブルカーだったことです。サンフランシスコのケーブルカーに乗ったことのある人はよくご存知だと思いますが、地面の下にロープが動いていて、車両がそれを掴んだり離したりして動くやり方です。ですから架線がない。


話がそれましたが、愛知県長篠のトヨタ自動車博物館には自動車黎明期のダイムラーや今のFR(フロント・エンジン、リア・ドライブ)自動車の原型となったフランス・パナールなどが数多く取り揃えられています。現物を揃えることの価値がよくわかる凄く面白い博物館です。

でも先日訪問した時に一番印象に残ったのは、実は70年代後半のコロナマークⅡ・ハード・トップのようなオッサン車の造形美でした。これは意外でしたね。当時は徳大寺さんの「間違いだらけの車えらび」がベストセラ―で、国産車はくそみそで、特についでに造られたようなマークⅡのスポーツ車なんかはバカにされて僕もそれに同調していたのですが、今頃改めて当時の屋根のデザインの曲線の美しさなどを感じてしまいました。これは多分私だけではなく、みなさんも行ってみれば、きっと感じるのじゃないかと思います。デザイナー頑張っていたんだなってね。

連載は原稿のストックが減ってきたので、何とか年内にあと四本は書いて気分的に楽になっておきたい。とにかくとりあえず原稿を書いておいて、人の意見を聞いたり推敲を繰り返したりていくと、経験上良いものが出来上がります。

昨日まで開戦間際の中国の様子を、今はオスマンに取り掛かっています。オスマンの本は随分読みましたが、もう一度読み直すところから始めています。『平和を破滅させた和平』ディヴィット・フロムキン、紀伊国屋書店(1989)なんかは非常に面白い。またサントリー文化財団のアスティオン2014-080は第一次世界大戦特集で、藤波伸嘉さんの論考「オスマン帝国の解体とヨーロッパ」なんかも参考にしたいところです。有名なサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』も読み方が変わるかもしれません。

オスマン軍が描かれている映画では『アラビアのロレンス』はもちろんフィクションとして観ましたが、今回は他にも何本か観ました、最近では『ドラキュラゼロ』がありますが、評価は控えておきます。
来週の27回「潜水艦」のゲラ修正はさっき終わりました。船の主機換装工事の記述では、編集から読者には「主機」がわからないのではないかということでメイン・エンジンにしましたが、まんまじゃねえかと思いました。お楽しみに。