2016年10月26日水曜日

インベスターZ、16歳のお金の教科書


ダイヤモンド社から、人気漫画『インベスターZ』の公式副読本として『16歳のお金の教科書』が出版されました。専門家6名に対するインタビューで構成されていますが、私が歴史の部分を担当しました。読みやすい本です。




宜しく。

2016年10月17日月曜日

チャートから見るブレグジット


【高論卓説】英株価が示すEU離脱の正当性 「悪くない決断」欧州人の考えに変化 ビジネスアイ 10月12日号

10月2日、イギリスのメイ首相は、欧州連合(EU)への「離脱通知」を2017年3月末までに行うと表明した。会見時のメイ首相の晴れやかな表情が印象に残った。その際、移民をいかに制限するかは自分たちで決めるが、対欧州貿易についても最善をつくしたいと付した。その後、英ポンドは対ドルで売られているが、株式市場の方は年初来の高値を更新中である。英国はEUによる、あたかも一つの国のような単一市場の実現は評価したが、EUの決める「人の移動の自由」によって、野放図に移民を受け入れることを嫌ったのである。そして結果として株式市場はそれを評価している。

英国のEU離脱を決める国民投票は6月23日に実施された。2つの世界大戦での悲惨な経験を経て、EUという欧州の統合は平和のための崇高な理念だった。国境という障壁を取り除いた自由貿易の経済的なメリットは、どの国際経済学のテキストにも出てくる基本常識である。また中国の台頭により、米中という大国と渡り合うためにはEUとして統合する必要があったのは自明である。

事前の予想では、国民の一部には移民の流入を嫌う、不合理で反知性的な右翼的民族主義者が存在しても、まさか英国国民は「EU離脱」を選択しないだろうというものだった。

ロンドン証取の主要株式で構成されるFT100種の動きをみると、国民投票の行われる以前の数カ月は、市場は警戒色が強く様子見で推移していることがわかる。直前のブックメーカー(賭け屋)の予想が非離脱を暗示していたこともあり、株式は投票日の23日にかけて上昇したが、国民投票の結果が「離脱」と決まった翌日は、ショックで下落したのである。そしてその後は持ち直し、現在に至っている。

離脱は決まったものの、EUのルールでは、離脱時期表明のタイミングは英国政府が握っていた。離脱に対する制裁的な処置を考えたEU側は英国に対して早期の離脱を促し、離脱への準備期間を必要とする英国は先延ばしをするかに見えたが、意外に早い時期の離脱表明だったといえるだろう。


当然長期の影響も考慮せねばならないだろうが、当面の株価の推移から判断する限り、「英EU離脱=ブレグジット」は、英国にとって、どうも悪くなかったようだ。少なくともEU内で不満を持つほかの国の大勢の欧州人はそう考え始めているだろう。

現在EUは、15年だけで100万人を超える移民(半数はシリアから)と、結果として彼らの引き起こしたテロや多くの単純な暴力事件を前に、崇高な理念の実現に対するコストについて考えさせられている。国民にとって国家とはいかなるものか、国民の安全を十分に保障できるのか、政治的正当性の是非を問われ揺れ動いている。

19世紀、産業革命や識字率の向上とともに欧州で広く認識された国民国家意識が、今再び復活の様相を呈しているかのようだ。第一次世界大戦では、ロシア、ハプスブルク、オスマンなどの帝国の崩壊から内包されていた諸民族が解き放たれて独立した。

もしかしたらEUの統合は、その崇高な理念とは裏腹にドイツなど強国主導の帝国と化していなかったか。自分たちのことは自分で決めたい。株価チャートはそう訴えているようにも見えるのだ。



2016年10月10日月曜日

時の函数


連載中の「日本人のための第1次世界大戦史」も1918年11月11日にドイツが休戦条約にサインして戦闘が終結するところまですでに書き終えています。戦闘が終わったのはあくまで西部戦線の話ですけれど。

それで昨日から、それ以降を書くために、アルフレッド・W・クロスビーの書いたスペイン風邪の本、『史上最悪のインフルエンザ』を読み直していたのですが、その中に日本語版への序文があって、その末尾では寺田寅彦の言葉が引用されていました。

「ものを怖がらなすぎたり、怖がり過ぎるのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい。」 まるで日本の防衛問題じゃありまあせんか。

これは、まさに意を得たりと思い、寺田寅彦の随筆集をパラパラとめくると、数ある中でもアインシュタインに関するエッセーがすこぶる面白い。実は、この時点で私の仕事は完全に脱線しています。雑学は増えるけれども、そのうちに締め切りがせまって、いつも苦しむことになる。でも面白いのだから仕方がないでしょう。

アインシュタインが一般相対理論を発表したのはベルリンのプロイセン科学アカデミーに在籍していた1916年のこと。第1次世界大戦の真っただ中。この理論には星の重力により光が曲げられるという予言も含まれていた。

でも、これを立証するためには、皆既日食が必要です。当時、皆既日食はクリミア半島で見られそうだったのですが、ドイツから見て敵地のロシア領だったので、ここはアメリカ人の友人ウィリアム・キャンベルに依頼して観測してもらったのです。電話も自動車もヘリも無い当時、これは現在のシリアに行くよりよほど危険な行為です。でも、結局曇天で観測は失敗したうえに、キャンベルはスパイ容疑でロシア軍に逮捕されてしまった。ちなみにこのキャンベル先生は後にカリフォルニア大学バークリー校の学長になります。若い学生から見たら、インディージョーンズみたいな凄い先生ですよね。

終戦後の1919年にはイギリスで皆既日食があり、ケンブリッジ天文台で観測され、なんでもかんでもドイツ憎しの中で、アインシュタインは世界的に有名になった。

とある偉い先生が、学会で、「アインシュタイン君、もし実際にそんな重力の『場』があるなら、何かもっと見やすい現象をしょうじそうなものではないか。」と非難すると、

「見やすいとか、見やすくないとかいう事は時代とともに変わるもので、云わば時の函数であります。ガリレーの時代の人には彼の力学はよほど見やすくないものだったでしょう。いわゆる見やすい観念などと称するものは、例の『常識』『健全な理知』と同様にずいぶん穴だらけなものかと思います。」とアインシュタインは淡々と答え、会場では聴衆から失笑が漏れた。

1918年から1920年にかけてのインフルエンザ・パンデミックは、時代とともに忘れさられていた。実はインフルエンザ・ウィルスは小さすぎて当時の光学顕微鏡では見えず、事態をきちんと把握できていたわけではなかったのだ。まさに、これも時の函数。