2016年10月10日月曜日

時の函数


連載中の「日本人のための第1次世界大戦史」も1918年11月11日にドイツが休戦条約にサインして戦闘が終結するところまですでに書き終えています。戦闘が終わったのはあくまで西部戦線の話ですけれど。

それで昨日から、それ以降を書くために、アルフレッド・W・クロスビーの書いたスペイン風邪の本、『史上最悪のインフルエンザ』を読み直していたのですが、その中に日本語版への序文があって、その末尾では寺田寅彦の言葉が引用されていました。

「ものを怖がらなすぎたり、怖がり過ぎるのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい。」 まるで日本の防衛問題じゃありまあせんか。

これは、まさに意を得たりと思い、寺田寅彦の随筆集をパラパラとめくると、数ある中でもアインシュタインに関するエッセーがすこぶる面白い。実は、この時点で私の仕事は完全に脱線しています。雑学は増えるけれども、そのうちに締め切りがせまって、いつも苦しむことになる。でも面白いのだから仕方がないでしょう。

アインシュタインが一般相対理論を発表したのはベルリンのプロイセン科学アカデミーに在籍していた1916年のこと。第1次世界大戦の真っただ中。この理論には星の重力により光が曲げられるという予言も含まれていた。

でも、これを立証するためには、皆既日食が必要です。当時、皆既日食はクリミア半島で見られそうだったのですが、ドイツから見て敵地のロシア領だったので、ここはアメリカ人の友人ウィリアム・キャンベルに依頼して観測してもらったのです。電話も自動車もヘリも無い当時、これは現在のシリアに行くよりよほど危険な行為です。でも、結局曇天で観測は失敗したうえに、キャンベルはスパイ容疑でロシア軍に逮捕されてしまった。ちなみにこのキャンベル先生は後にカリフォルニア大学バークリー校の学長になります。若い学生から見たら、インディージョーンズみたいな凄い先生ですよね。

終戦後の1919年にはイギリスで皆既日食があり、ケンブリッジ天文台で観測され、なんでもかんでもドイツ憎しの中で、アインシュタインは世界的に有名になった。

とある偉い先生が、学会で、「アインシュタイン君、もし実際にそんな重力の『場』があるなら、何かもっと見やすい現象をしょうじそうなものではないか。」と非難すると、

「見やすいとか、見やすくないとかいう事は時代とともに変わるもので、云わば時の函数であります。ガリレーの時代の人には彼の力学はよほど見やすくないものだったでしょう。いわゆる見やすい観念などと称するものは、例の『常識』『健全な理知』と同様にずいぶん穴だらけなものかと思います。」とアインシュタインは淡々と答え、会場では聴衆から失笑が漏れた。

1918年から1920年にかけてのインフルエンザ・パンデミックは、時代とともに忘れさられていた。実はインフルエンザ・ウィルスは小さすぎて当時の光学顕微鏡では見えず、事態をきちんと把握できていたわけではなかったのだ。まさに、これも時の函数。

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