2017年1月25日水曜日

【高論卓説】「米国分断」は解消されるのか


フジサンケイ・ビジネスアイ 【高論卓説】「米国分断」は解消されるのか

労働経済学者のエンリコ・モレッティ氏が2012年に書いた「年収は『住むところ』で決まる」(プレジデント社)は、当時アメリカでベストセラーになった。この本では「イノベーション都市」の高卒者は「旧来型製造業都市」の大卒者よりも賃金が高いことが統計から示されている。

 金持ちが住むエリアでは、質の高い生活関連サービスを提供する人たちが必要になる。例えば弁護士や歯医者に限らず、高級住宅街の美容師やネイル・アーティストなどの料金をイメージすれば分かりやすい。つまり本人の学歴よりも、むしろ周囲に住む人たちの学歴が賃金水準を決定していることが明らかにされている。

 こうしたイノベーション都市はグローバル化している。高学歴者は全米のみならず世界中から集まり、お互いを刺激し合い、教育水準はますます高くなり、その結果、影響はお金がかかる健康格差にも波及し、男性の地域別平均寿命にすら明確な分断がみられるようになった。「旧来型製造業都市」では、同じアメリカ国民でありながら寿命まで短いのだ。そして地域格差はますます拡大しつつある。

ここでのイノベーション都市とは先の米大統領選でヒラリー氏に投票した州にあり、「旧来型製造業都市」とはおおむねトランプ氏に投票した州にある。この本に引用された各種階層別の地図は、先の選挙結果を示す地図と見事に重なっている。アメリカでは4年も前から、(多分もっと前から)国民の分断が認識されていたのである。

 イノベーション都市に本拠を置くメディアの報道では、トランプ大統領の過激な発言がアメリカ国民の分断を招いているように報道されているケースが目立つ。しかし実は因果関係は逆で、分断があったからトランプ大統領が誕生したのである。これは反実仮想で、もし僅差でヒラリー氏が当選して、「旧来型製造業都市」の住人たちの「不公平感」の訴えが封殺されたと考えればどうだろうか。民主主義は機能したといえるのだろうか。分断され、不公平感を抱く「もう片方」の国民の声がようやく反映されたと見るのが妥当だろう。

 一方で、選挙時のトランプ氏の差別的で過激な発言や、他国に対する感情的で保護主義的な主張が、現状に不満を持つ「もう片方」の米国民たちに一時的なカタルシス(浄化)を与えたにせよ、イノベーション都市の不動産業で財を成したトランプ氏が、こうした分断の本質を理解し、解消する手腕を持つ大統領なのかどうかは全く別の問題である。

トランプ大統領が今のところ主張する保護主義や移民の流入制限などは、これまでの米国の成長を牽引(けんいん)してきた「イノベーション」を阻害し、富める者を抑制することで分断を生んだ格差を縮小させるのかもしれない。しかし、その結果、果たして米国民は幸せになれるのだろうか。

 実は先進国の中でもイノベーションが起こりにくく、成長しない代わりに格差も少ない国の事例があるが、結構のんきにやっている。残念ながら国名は秘密である。

板谷敏彦

2017年1月13日金曜日

JAZZ禁止


朝、NHKラジオを聞いていたら、昭和18年の本日1月13日はジャズなど米英楽曲約1000種の生演奏やレコードを聴くことが禁止された日なのだそうです。

因みにアメリカ映画の上映禁止は開戦直後の昭和16年12月27日。ハンフリー・ボガードの『カサブランカ』は昭和17年だから、日本では戦後になるまで見れなかったわけです。もっとも、見れたとしてもナチス批判の敵性映画指定だったでしょうけれど。

救いは1999年の本日、ピアニストの秋吉敏子さんが日本人として初めてジャズの殿堂(International Jazz Hall of Fame)入りを果たしたこと。そこで、今日はジャズの日といいたいところだけど、「ジャズの日」は既に存在しており1月22日がそうなのだそうです。


当時のJAZZ禁止の通達は内閣情報局週報第328号。

「末梢感覚万能の国民性」とか、「卑俗低調で、頽廃的、煽情的、喧噪的なものであつて、文化的にも少しの価値もない」とか面白いので以下に抜粋引用、

>今だに軽佻浮薄、物質至上、末梢感覚万能の国民性を露出した米英音楽レコードを演奏するものが跡を絶たない有様でありますので、今回さらにこの趣旨の徹底を期すため、演奏を不適当と認める米英音楽作品蓄音機レコード一覧表を作つて、全国の関係者に配布し、米英音楽を国内から一掃し、国民の士気の昂揚と、健全娯楽の発展を促進することになりました。
 
 純音楽に米英作品は寥々 米英音楽の一掃といつても、純音楽の部門では、これまでわが楽壇で毎年演奏される曲目の大部分は、独伊両国の作曲家の作品であつて、最近ではフランスその他の国々のものが次第に演奏されるやうになつて来たものの、米英系の作品が紹介、演奏されることは、殆ど皆無といつてもよいくらゐでした。

 ジャズ音楽の追放

 米英系音楽としてわが国に輸入され、また最も多く一般に馴染まれたものは、何と言つてもいはゆるジャズ音楽と民謡調の歌曲とであります。
 しかし、米国系音楽の代表とみられるジャズや、これに類する軽音楽の大部分は、卑俗低調で、頽廃的、煽情的、喧噪的なものであつて、文化的にも少しの価値もないものでありますから、この機会にこれを一掃することは極めて適切であり、また絶対に必要なことであります。
 ジャズと、これに類する軽音楽が、こゝ十数年間に驚くべき勢ひで各方面に多大の悪影響を与へたことは、これまでもたびたび論ぜられてきたのでありますが、これらが聴けなくなつても、大衆音楽がなくなる心配はありません。むしろ浄化されるものと見るべきであります。

 

演奏不適当な主な曲

 一世を風靡した「ヴァレンシア」、「ダイナ」、「アラビヤの唄」、「私の青空」(注:マイ・ブルー・ヘブンとルビ)を始め、一切の米英ジャズが、演奏不適当と認められたわけですが、以上の外「米英音楽作品蓄音機レコード一覧表」に記載されてゐる主な曲を挙げますと、次ぎのやうなものがあります。
 「堂々たる陣容」「海辺のサセックス」「支那の寺院にて」
「ミネトンカの湖畔」、「ロンドン・デリ-」、「聴け雲雀を(ビショップ)」、「ミズリー河」、「カミン・スルー・ザ・ライ」、「ヤンキー・ドゥードル」、「ディキシーランド」、「スザンナ」、「アンニー・ローリー」、「ティペラリーの歌」、「アメリカの巡邏兵(アメリカン・パトロール)」、「懐かしのケンタッキー」、「オールド・ブラック・ジョー」、「擲弾兵行進曲」、「ラヴ・イン・アイドルネス」、「野ばらに寄す(マクドウェル)」、「スワニー河」「ラプソディ・イン・ブルー」
「夜明けの三時」、「コロラドの月」、「林檎の木陰」、「ベーガン・ラヴ・ソング」、「峠の我が家」、「ラモーナ」、「チキーダ」
「キャラバン」、「支那街」、「片思ひ」、「ロッキーの春」、「シャイン」、「メランコリー・ベビー」、「ドンキー・セレナード」、「ティティナ」、「リオリタ」、「バガボンドの唄」、「ローズ・マリー」、「ラヴ・パレード」、「乾杯の唄(スタイン・ソング)」、「ローロー」、「上海リル」、「タイガー・ラッグ」、「トップ・ハット」、「ピッコリーノ」、「ダーダネラ」、「サンフランシスコ」、「オールマン・リバー」、「スヰート・ス-」、「ブルー・ムーン」、「アレキサンダー・ラグ・タイム・バンド」、「山の人気者」、「ショー・ボート」、「コンスタンチノープル」、「月光値千金」、「スヰート・ジェニイ・リイ」「私のエンゼル」、「カロライナの月」、「ルイス」、「フー」、「ゲイカバレロ」、「マリー」
「赤い翼」、「ダンシング・イン・ザ・バーン」、「口笛を吹く牧童」、「口笛吹きと犬」
「谷間の灯ともし頃」、「ココナツ・アイランド」、「思ひ出」、「ジャニイ」、「ハッチャッチャ」、「ビール・ストリート・ブルース」、「ライムハウス・ブルース」、「シュガー・ブルース」、「セントルイス・ブルース」、「ワイキキ・ブルース」、「ワバッシュ・ブルース」、「ワンワン・ブルース」
「シボニイ」、「キャリオカ」、「クカラチヤ」、「ルンバ・タンバ」、「南京豆売」
「ハワイの唄」、「ブルー・ハワイ」、「ハワイの恋」、「ハノハノハワイ」、「リリウエ」、「アレコキ」、「レイ・フラ」、「ヒロ・マーチ」、「アロハ・オエ」、「アロマ」、「ハワイホテル」、「島の歌」、「マニヒメリ」、「アロハを唄ふな」、「ホノルルの月」

orz

2017年1月11日水曜日

映画『この世界の片隅に』



よくある戦争映画のように、勇ましいゼロ戦パイロットや海軍の英雄、あるいは正反対に飢えに苦しむ陸軍兵ではなく、主人公は日常をつましく生きる一人の若い女性である。広島からひと山越えた、呉市の知らないお家(うち)に嫁いできただけの、本来であればごくごく普通の人生を歩んであろう女性である。しかし、山の中腹にある嫁ぎ先の家の近くからは呉の海軍基地が一望できた。そこには戦艦大和があり、重巡洋艦青葉があった。これが彼女を待つ現実の予兆である。

一庶民が経験した戦争の非日常は、ドキュメンタリーだけでなく、これまで多くの文学や映画作品、テレビドラマなどが伝えようと努力してきたし、僕は、これまでそうした作品を数多く見てきたはずだった。しかしこれほど胸にしみいる作品が、アニメであったことに少なからぬ衝撃を受けた。アニメでなければできないことがある。

大型爆撃機B29による爆撃の激しさ、一瞬の殺戮、音響の効果には思わず背筋を伸ばしてしまう。裏山から港へ侵入するグラマンF6FやF4Uコルセアなどの米軍艦載機、日本製の2000馬力エンジンの音も登場するが、これは紫電改に搭載された誉21型エンジンのことだろう。戦艦大和や重巡洋艦青葉の描写も精密で、繰り返される呉への空襲が実際のデータに裏付けられた現実であることを、マニアックな観衆にも担保する。単純なアニメ画の作品にリアリズムが宿り、前半ですでに主人公に感情移入を果たしていた観衆は、いやがおうでも主人公が経験する残酷な世界に引き込まれていく。

でもね、救いは用意されている。それはきっと、あなたにも用意されている。すっかり涙腺の弱くなった初老の僕は涙あふれるが、それがどこから出ているのか、正確にはよくわからないまま映画館から出た。でも人には、是非経験して欲しい感動だ。だから、僕も口コミで、あなたにも是非観て欲しいと云おう。




映画『この世界の片隅に』