2017年3月21日火曜日

【高論卓説】バブルの熱狂にも似た排外主義 


フジサンケイ ビジネスアイ
【高論卓説】バブルの熱狂にも似た排外主義 
               ー火消しは冷静な個人の意思表示 2017/03/21


 先週の木曜日。今後の欧州主要国の国政選挙の試金石として注目されたオランダの総選挙があった。極右勢力である自由党が最大会派になるとの予想もあったが、今回はそうはならなかった。しかし、英国の欧州連合(EU)離脱からトランプ米大統領登場へと続く一連の反エリート、排外主義の一種の熱狂が停止したわけではない。

 経済成長の中で見失われた格差問題もその不満の発露の仕方はロジカルに突き詰めると知性の後退でもある。民主主義国家だからこそ発生するこの現象は株式市場のバブルの熱狂にも似ている。哲学者ニーチェは言った「個人が狂うことはあまりないが集団はだいたい狂っている」。

 民主主義先進国である欧州でも一般大衆が政治に参画できるようになったのはそれほど昔のことではない。19世紀、フランス革命を経て兵隊がプロフェッショナルから一般市民の徴兵制に移行すると、軍の質を維持するために国民の識字率が重要になった。

 各国は義務教育に力を入れ国民は文字が読めるようになる。同時に輪転機やロール紙が発明され、新聞は大量印刷が可能になった。さらに鉄道が新聞の即日配達を可能にし、高価なろうそくが石油ランプや電球に変わると、労働者でも夜に文字を読めるようになった。

 新聞や印刷物によって情報が共有されると、同じアイデンティティーを持つ国民が形成されて近代的な国民国家が誕生する。ここでの国民とは英語でいうネーションのことで民族や人種だけに限らず、宗教や生活習慣の共通性も重要な要素である。

 国民は新聞を通じて政治や外交などの情報を取得し、兵役や納税など国家に対する義務を果たすと、同時に国家に対する権利も要求するようになった。これが19世紀後半から起こった普通選挙運動である。エリート以外の人間も選挙を通じて政治に参画できるようなった。

新聞は売らんがために大衆に迎合することもあった。ポーツマス会議の結果に不満な民衆は日比谷焼打事件を引き起こしたが、これは新聞がこぞって大衆をあおり好戦的な世論を形成したからだ。これは日本だけではなく第一次世界大戦が始まったとき、各国の新聞と大衆はともに熱狂し歓喜したのである。もっともすぐに後悔したけれど。

 新聞やテレビに代わり、インターネットが世界を覆う現代、欧米の主要メディアは英国のEU離脱や大統領選挙の予想を外した。トランプ大統領は就任後もメディアによる情報のフィルターを迂回(うかい)して、ツイッターを使用して直接支持層に情報を流し続けている。

 これには嘘やデマも混じり、ポスト真実(真実に変わるもの)なる言葉も登場した。インターネットの発達によって大衆は自らが好む情報だけを選別して取得するようになった。こうした状況下では同じ事件の説明でも、取得している情報が隣人と全く異なる場合が出てくる。言い換えれば国家の中に、異なるものを見て物の考え方が極端に違う構成員の「集団」が登場してくる。ネーションは分断されやすい状況にあるといえるだろう。

ではこの現象はいつか終わるのだろうか、私は、救いはきっと「個人」一人一人が意思表示できる民主主義の中にあると思う。実は冒頭の相場格言として借用されるニーチェの言葉は熱しやすく冷めやすい大衆への皮肉である。19世紀に「狂気とバブル」を著して、バブルという現象を世に知らしめたチャールズ・マッケイはこう言っている。「人は集団で熱狂し、一人ずつさめていく」と。

適切な分配政策によって格差問題に対処し、この現象を一時の熱狂としたいところだ。

板谷敏彦

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